2006年5月30日 (火)

夢と創作(3)

Venus_b前回の記事で「ねじ式」のことを書いているうちに、昔読んだつげ義春の作品が懐かしくなり、特に「夢」を素材にした作品を中心に何編か読み返してみた。読んでみて、改めてそのリアリティに感心した。リアリティとは、夢としてのリアリティで、夢特有の不条理さ、不可解さ、曖昧さが実にリアルに表現されている。つげ義春という人がどれだけ夢に関心をもっていたか、夢に取り憑かれていたかがよく分かる。
ただ、いかに忠実に夢を再現しようとしても、当然そこには限界があり、意識するしないに関わらず、「創作」の部分が生じてしまうのだろうと思う(多分)。作品によっても異なるが、「ねじ式」で表現されているイメージは、やはり少々明確であり過ぎるようにも感じられる。つまり、夢を核にしながらも、「創って」いる部分が大きいのかもしれない。
とすると、つげ義春は、「ねじ式」において、夢を契機として、夢そのものとは別の、魅力的な幻想世界を描き出したといえるのだろうが、もちろん真相は作家本人にしか分からない。
(左上の作品は、小生作のペン画「ヴィーナスの微笑」)

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2006年5月13日 (土)

夢と創作(2)

Magritte_b前の記事にakirahiranoさんからコメントをいただいたが、その中に「覚醒夢」とあったので、いくつかのサイトを覗いてみた。
自分と同じような体験をしている人がいることを改めて認識した。中には「霊」的なものとの関わりについて書かれたものもあったが、私はその方面にはあまり興味はない。私の関心は夢そのものにあり、夢そのものを楽しんでいるのである。だから別に覚醒夢でなくてもかまわない。不条理で超現実的なビジョンに心惹かれるのである。
漫画家つげ義春氏の作品に「ねじ式」という異色作がある。発表当時大変話題になり、文学にも影響を与えたといわれるが、この作品が実は夢から生まれたのである。
少年が海水浴にきて「メメクラゲ」に刺され、腕の静脈を切断される。出血しないように血管を手で押さえながら医者をさがしてさまよう、というストーリーである。高校生の頃に読んだが、そのときのショックはいまだに忘れられない。全編が死のイメージに満たされていて、当時「死」に取り憑かれていた私には、とんでもなくリアルに迫るものがあったのだろう。同時に、脈絡のない展開、登場人物達の不可解な会話や行動などには、夢の世界を思わせるものがあった。後日、この作品が自分の見た夢を描いたものであることを作者自身が述べているのを読んで、なるほどと思った。これは見事な夢の形象化である。
荒唐無稽な夢を描くことなど無意味だと考える人もいるかもしれない。しかし、「ねじ式」のような傑作には、多くの示唆が含まれていると私は信じている。(右上の画像は小生作の銅版画「マグリット」)

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2006年5月 6日 (土)

夢と創作

Abe_bここで取り上げる「夢」は、眠っているときに見る夢のことである。
昔から夢に大変興味があって、フロイトの「夢判断」などは結構面白く読んだ。また、自分が見た夢を作品にした夏目漱石の「夢十夜」や安部公房の作品(題名を忘れてしまった)も面白かった。
それに触発され、若い頃、見た夢を日記帳に書き留めていたことがある。朝になると忘れてしまうので、枕元に日記帳を置いておき、夢を見て目が覚めたら、すぐに書くのである。これは時間との戦いで、まさに秒単位て記憶がどんどん薄れていく。はかない夢の断片を必死にかき集め、つなぎ合わせて再現するという作業を数年間続けたのである。(左上は小生作のペン画「安部公房」)
Kafka_b夢について、もうひとつエピソードを紹介すると、(信じてもらえないかもしれないが)私は夢をある程度コントロールできるのである。つまり、見たいと思う夢を実際に見られるということである。頻繁にあることではないが、簡単にいえば、半分くらいは醒めている状態でこうしたことが起こるのである。眠りと覚醒の中間の状態において、自分が望むイメージを生成する、あるいは夢を自分の望む方向へ展開していく、ということがいつからかできるようになった。夢に対する執着がもたらした成果(?)かもしれない。
それはともかく、夢は実に不可思議なビジョンを提供してくれる。絵画においても文学においても、夢は作家に多大なインスピレーションを与えてきたのではないかと思う。カフカやマグリットの世界は、まさに不可解な夢の世界ではないか。それは現実逃避ではない。目に見えない真実に迫るための方法論である。(右上は小生作の銅版画「カフカ」)

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2006年4月12日 (水)

ペン画と銅版画

Mahler1_b長い間ペン画を描いてきて、6年ほど前に銅版画を始めたときは、昔制作したペン画をほぼそのまま銅版画にするという形で制作を行っていた。もちろん、若干の修正や、ハーフトーンの調子をつけるためにアクアチントを施す程度のことはやったが、基本的な構図などを変えることはなかった。
Mahler2_b
しかし、段々とそのような「焼き直し」では飽き足らなくなり、構図自体を変えるという試みをするようになった。特にペン画を完成させた後になって、「ここはこうすれば良かった」と後悔することが多々あるのだが、そのような作品を銅版画にする際に修正をしている。
ここに掲げたのは自作のマーラーの肖像だが、左上がペン画、右がそれを修正した銅版画。修正すれば良くなるとは限らないが、「やるだけのことはやった」というわけで、それなりに満足してしまう。

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自画像について

Aimitsu_b昔から、自画像や自画像を描く画家に妙に惹かれるものを感じてきた。
思いつくままに名前をあげると、ゴッホ、レンブラント、デューラー、セザンヌ、靉光、松本竣介など。あと面白いのは、パルミジャニーノと筧忠治。
おそらく、自分自身を見つめる画家のまなざしに魅力を感じるのではないか。そのまなざしは、自分以外の他者や風景や静物を見るまなざしとはどこか違っているように感じられる。鏡の向こう側にいる自分と対峙し、「お前は何者か」と問いを投げかけ、また投げかけられながら制作している様子が目に浮かんでくる。ま、これは私の勝手な想像かもしれないが、こんな想像をさせるまなざしではある。
私自身も自画像は少なからず描いているが、画家の自画像を基に制作した作品が何点かある。このブログの最初の記事に載せた作品(ペン画)は、デューラーの自画像が基になっているし、右上の作品(これもペン画)は、私の好きな靉光の2点の油彩の自画像を合成し、それにいくつかの要素を付け加えて全体を構成したものである。

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2006年4月 9日 (日)

ブログデビュー

Durer_bとうとうブログを始めることにしました。
ペン画や銅版画を中心に、自分の作品を公開するホームページを開設して6年、最近は更新もなかなかできなくなり、旧態依然とした感じになってきたので、気分転換にブログでもやってみるか、と考えたのも動機のひとつです。
とにかく初めてなので勝手が分からず、どんな内容になっていくのか見当がつきませんが、とりあえずは創作活動のことなどを書いていくことになると思います。
といっても、私はプロの作家ではありません。絵とは全然関係のない仕事をしているサラリーマンです。
最初から気張って長々と書くと、後が続かないような気がするので、今日はこれくらいにしておきます。
なお、左上の作品は、小生のペン画「デューラー」です。

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